昼休みも終わり、ピークの過ぎたカフェテラスは、いつもの喧騒が嘘のように静まり返っている。
法介はこれまで二回、ここを利用したことがあったけれど、こんなに静かなのは初めてで、居心地が悪いと内心でぼやいた。 そして、居心地が悪いと感じてしまう、もうひとつの理由。
それは響也から向けられる、何とも言えない視線だった。
「……」
「……」
茜が飲み物を取りに行っているため、法介は今、響也と二人きりである。
こんなことなら譲らないで、俺が取りに行けばよかったと後悔したところで、どうしようもない。
ちらり、と上目で響也の様子を窺うと、相変わらずじっくりと観察するような視線が投げつけられ、辟易とした。
「お待たせー、って何してんの、アンタたち」
お見合いみたいよ、と呆れたように茜が言う。
「冗談きついですよ、茜さん……」
力のない法介の声に、茜は「変な子ねぇ」と呟くと、気を取り直したように法介の脇に腰を下ろした。
「じゃあ、始めましょうか」
「そうだね、手短に頼むよ」
「アンタが余計なちゃちゃを入れなければ早く終わるわよ!」
「茜さん……」
忌々しげに響也をぎろりと睨みつけると、茜はコホン、と咳払いして話し出した。
「『ゼロ』はね、今までのドラッグとは違うわ」
「『ZERO』!?」
法介の上げた声に、茜は嫌な顔をした。
「なぁに、アンタまで知ってるの?」
「いや、『ZERO』ってクラブ、ですよね?」
「はぁ? 何言ってるの、アンタ。ドラッグって言ったじゃない」
「ドラッグ!?」
「そうよ。……っていうか、クラブって何よ」
「えっ、そりゃあの音楽がかかってて踊る場所……」
「そんなの知ってるわよ!」
茜の声に、法介は思わず身を竦める。
「『ZERO』っていうクラブがあるのかって聞いてんのよ!」
「ありますよ!」
法介の返答に、茜の瞳がきらりと強い光を孕んだ。
「いいこと聞いたわ……。アンタ、時々役に立つのね」
どこまでも失礼な茜の言葉に、法介はふにゃりと眉を下げ、「時々、ですか……」と呟いた。
そんな法介を一顧だにせず、茜は話を進めていく。
「最近出回り始めた新種なんだけど、流通ルートが変わってるの。若い子の間でだけ、流行ってるのよ。しかも出所がどこかはわからない。捕まった子はみんなこう言うわ。『会費を払うとどこかに連れて行かれて、薬を楽しむ』ってね」
「……」
そこで一旦言葉を切った茜は、響也の表情を窺う。
目を瞑ったまま、黙って先を促す彼の姿に、茜は内心気圧されながら、口を開いた。
「道端で外国人が売ってるわけでもなく、特定の売人がいるわけでもない。ある場所に行って暗号を言い、会費を払う。そうすると目隠しされて別の場所に連れて行かれるんですって」
「……会費っていうのは、いくらなんだい」
「それがねぇ、嘘みたいなんだけど」
一回千円なんですって。
茜の言葉に、響也はガタリと音を立てて立ち上がった。
「なんだって!?」
「嘘みたいでしょ?」
「信じられないな……」
黙って二人の会話を聞いていた法介は、ふと疑問に思って口を開いた。
「千円って、安いんですか?」
くるり、と同時に二人から視線を向けられ、法介はたじろぐ。
信じられない、とその目は言っているようで、どうにも居たたまれなかった。
「もうちょっと世間のことに感心持ったほうがいいんじゃないのアンタ」
「おデコくん。キミ、純粋培養にも程があるよ」
右から左から、ステレオで自分の無知を指摘され、法介は小さな身体をますます小さく縮めて、すみません……と謝った。
「話を続けてください……」
「……でね。あたしたちだって馬鹿じゃないんだから、捕まった子たち全員に、『最初に行ったある場所』ってどこよって聞いたのよ。そしたら全員、本当に全員がね。覚えてないって言うのよね……」
もうお手上げよ。
困惑した表情を浮かべ、茜はテーブルへと突っ伏す。
響也はどこか納得できない表情を刷いて、茜に疑問をぶつけた。
「全員嘘を吐いている可能性は?」
「残念ながら、ないわ。今のところ十人くらい検挙してるんだけど、それぞれポリグラフにかけても怪しいとこなんて出てきやしない」
「ポリグラフ、ねぇ……」
「そりゃ精度には問題あるけど、十人が十人ともよ?」
「うーん……」
響也はそう唸ると、顎に手を当て、考え込んだ。
美形がこういう仕草をすると、決まりすぎてて恥ずかしいんだな、と法介は他人事のように思う。
「ちょっと!」
「ハイッ、大丈夫ですっ!」
ぼんやりとしていると、茜から声をかけられ、思わず口癖が飛び出した。
「どこが大丈夫なのよ、しっかりしてよ」
「すみません……」
「んで、アンタの話に戻るんだけど。最近、ちょっと多いのよ。中高生くらいの行方不明者」
「え……」
「更に言うと、『ゼロ』で捕まってる子たちはね、みんな行方不明者だったのよ」
茜の爆弾発言に、法介の息が一瞬止まる。
「もちろん、ただの家出って子も多いんだと思うんだけど、特に家庭に問題がない子が行方不明になってるって話だと、『ゼロ』が絡む率はグンと上がるわ」
「茜さん、それ……」
「もちろん、捜査機密よ」
悪びれなくさらりと機密情報を口にする茜に、法介は思わずため息を吐いた。
有力な手がかりを手に入れた、ような気はする。
しかし……。
感謝と、それでいいのかという、非難めいた気持ちがごちゃまぜになった複雑な感情が、身体の中を渦巻く。
茜はそんな法介に気付くと、フフンと鼻先で哂った。
「情報交換ってことにすりゃ、問題ないわよ」
「交換なんてしましたっけ……?」
「したわよ」
あっけらかんと言い放つ茜に、法介は不審な目を向ける。
「クラブのこと、教えてくれたじゃないアンタ」
「え、あぁまぁそうですね」
「……鈍い」
「へ?」
「鈍すぎるわ、アンタ!」
びし、と指差され、法介は狼狽した。
茜は苛立たしげに口唇を噛み締めると、かりんとうを法介に投げつけた。
「痛ッ!」
「痛いようにしてるんだから当たり前じゃないのよ!」
「何でですかッ!」
「クラブの名前が『ZERO』、クスリの名前が『ゼロ』。これだけでも八方塞りな今の状況だとねっ、有力な情報になるのよッ!」
覚えときなさい!
茜の大喝に、法介はぽかんと口を開いた。
「ありがとう、ございます」
「何よ、お礼言われるようなことなんて言ってないわよ」
「いえ、俺にとってはすごくありがたかったから」
「そう? ならもっと感謝するといいわ」
にやりと頬を歪めると、茜は偉そうに踏ん反り返った。