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アナザーゼロ 4

間の抜けた、正午を報せるチャイムに、響也は我に返る。
朝からずっと端末に張り付き、『ゼロ』についての噂を探ってみたものの、見事にその情報はヒットしなかった。
そのあまりのマイナーさ加減に、思わず自分の仕事を放っぽって、夢中になってしまった。
優秀な部下がいるとこういうときに助かるな、と他人事のように思いながら、響也はモニタの電源を落とした。

「それにしても、おかしいな……」

ドラッグの流通には、大抵裏に暴力団やマフィアなどの姿がちらつくものだ。彼らは慈善事業で薬を捌いているわけではないので、どうしても規模が大きくなる。大きくなればそれだけ、動きも目立ったものになるのだ。
けれど今回の『ゼロ』に関しては、まったくといっていいほど彼らに動きがない。
このことが意味するのは、一体何なのか。
通り一遍のことを調べてみたものの、正体はいまだ霧の中、といった風情の『ゼロ』に、すっきりしない、得体の知れなさを感じていた。
響也は眉間をぐりぐりと押すようにして揉むと、ラグに身体を投げ出す。

「警察に行く、か」

使えるものは最大限に活用するのは、響也のポリシーである。
せっかく情報を共有できる巨大組織があるのに、それを利用しない手はない。
思い立ったが吉日とばかりに、響也は手早く昼食を取ると、『警察に行ってくる』と部下に声をかけた。
仕事を押し付けられる羽目になった補佐官の泣きそうな顔が視界の端にちらりと映ったが、あえて見ない振りをして、足早に自室を辞した。

「貧乏くじ引かせてごめんねー……」

響也の誠意のない謝罪は、部屋の中で呆然とする部下に届くことは、もちろんなかった。





四月に入ってからというもの、すっかり春らしい、柔らかな陽気が続いている。
上着を着ていると暑いくらいの日差しを受け、響也はわずかに目を細めた。

「あー……こんなに天気がいいと、働きたくなくなるな」

しかし響也は悲しいかな、お上に仕える公僕である。
検事としての自分に、サボるという選択肢はない。
ため息を吐きながら、目的地である警察署のドアをくぐると、見覚えのある人物が視界に飛び込んできた。

「いいところにいるね、刑事クン」
「ゲッ……」

今日も袋入りのかりんとうを抱えた宝月茜は、響也の顔を見ると本気で嫌そうな表情を浮かべ、眉根を寄せた。

「ゲ、とはご挨拶だね」
「相変わらず嫌味なご挨拶ですね」
「事実を言ったまでだけど?」
「うるさいわよ!」

すぐに頭に血が上るタイプの茜は、響也にとって面白いおもちゃのような存在だった。
響也に面白がられていることを理解しているのか、なるべく冷静に対処しようとして失敗しているところなど、最高に面白いと思っている。
遊ばれる茜にとっては迷惑だろうが、響也は態度を改めようとは思わなかった。

「でっ? お忙しいはずの検事様がこんなむさ苦しい場所にいらっしゃったのは何でです?」

挑みかかるような茜の言葉に口唇の端をくい、と持ち上げると、響也は口を開いた。

「刑事クンは『ゼロ』って知ってる?」
「ッ! 何でそれをアンタが!」
「わかりやすい反応をありがとう」

探し物を知る人間を捜す手間が省けたと、響也は内心ほくそ笑んだ。

「アンタには関係ないはずでしょ!?」
「それがそうでもなくてねぇ」

人の悪い笑みを浮かべながら、響也は今朝の顛末を茜に伝える。
茜は「最悪だわ……」という言葉とともに、天を仰いだ。

「『ゼロ』の件は、キミが担当してるの?」
「あたしだけじゃないですけどッ!」
「キミも担当してるんだよね?」
「〜〜〜ッ! そうですよッ!悪いですかッ!」
「悪くないよ、むしろありがたいくらいだ」

ばちん、と茜に向けてウインクすると頬を引きつらせながら、彼女は「本気で気持ち悪いんで、それやめてください……」と呟いた。 響也が彼女を気に入っているのは、弄りやすい性格に咥え、自分に媚を売らない姿勢を貫いてくれるからかもしれなかった。

「んで?」
「ん?」
「ん?じゃないわよ。何しに来たのよ、アンタ。『ゼロ』の何が知りたいの」

むしろこっちが知りたいくらいだけど、聞くだけ聞いてやってもいいわと、茜は言い放つ。

「ここじゃ落ち着いて話せないから、カフェテラスにでも行かない?」

奢るよ、と響也が言うやいなや、彼女は「当然でしょ!」と鼻で哂い、ツンとそっぽを向いた。
本当にわかりやすい子だな、と響也は苦笑しながら、茜をエスコートすべく、スッを身体を開く。
視界の開けた茜が礼を言うでもなく、さっさとカフェに向けて歩き出そうとした次の瞬間。

「あれっ……?」

彼女の視線が、エントランスへと向けられる。
響也もつられるようにして、その視線の先を追うと、見覚えのある――けれども初めて見る人物の姿に、思わず目を疑った。

「ちょっとアンタ! 成歩堂さんのトコの子じゃない?」

茜のあげた声に、その人物はこちらに視線を寄越すと、目を瞠った。

「茜さん!と、牙琉、検事」

こっちに来なさいよと茜に手招かれ、彼――王泥喜法介は小走りで近づいてくると、ぺこりと頭を下げた。

「お久しぶりです」
「ほんとねー。元気だった?」

成歩堂さんは? 元気?
茜のマシンガンのような矢継ぎ早の質問にも丁寧に答える法介の姿に、響也は言葉を失っていた。

「牙琉検事もお久しぶりです」
「え……あ、ああ。お久しぶりだね、おデコくん」
「ご無沙汰してました」
「ほんとにね……」

照れたように笑う彼の姿は、今まで響也の見たことのある彼とはまったく違っていた。

「んで、アンタは何でここに来てるのよ」

そんな格好で、と茜がちらりと視線を彼の爪先から頭のてっぺんまで巡らせると、居心地悪そうに法介は身体を揺らし、頭を掻いた。

「ちょっと仕事で……」
「そんなくだけた格好で仕事ォ!?」

呆れたような茜に、法介は苦笑した。

「仕事なんですよね……困ったことに。俺もちょっと落ち着かないんですけど」

うろうろと視線を彷徨わせる彼は、いつもよりも更に幼く響也の目に映る。

「「高校生みたい」」

思わず口から零れた一言は、茜の言葉と見事なユニゾンを形成した。

「……言わないでください……」

自覚はしてるんです、と情けない表情を浮かべて、彼は力なく笑う。

「アンタも色々大変なのね……」

茜は同情している様子も見せずにそう呟くと、法介の腕を取った。

「久しぶりなんだから、寄って行きなさいよ」
「いや、この後ちょっと予定があるんで」
「ちょっとお茶飲むだけなんだから付き合いなさいよ!」
「警察で聞きたいことがあるんですよ、俺!」
「あたしだって警察の人間よ!言ってごらんなさい!」

茜の剣幕に完全に圧された法介は、ごくりと唾を飲み込み口を開く。

「行方不明になったっていう高校生の女の子のことで、聞きたいことがあったんですけど。捜索願いは出されてるみたいなんで、一応警察の方にもお話をうかがおうかと」
「……いつ、わからなくなったの?」
「えーと、四日前らしいんですが」
「場所は? 時間は?」
「場所は街のどこか、時間帯は夜……夜中です、ね」
「やっぱりアンタ、ついてらっしゃい」

茜は顔色を変えて、法介の腕を引っ張った。

「え? え?」
「刑事クン、無理矢理はよくないよ」

これまで沈黙を守っていた響也が口を出すと、茜はキッと睨みつけ、「アンタも来るのよ」と言う。

「どういうこと、だい?」
「アンタたちの話、繋がってるかもしれないわ」

あたしも情報が欲しいの、と真面目な顔つきで茜は言い切った。

「そういうことなら、行こうか」

響也は、いまだに混乱の最中にいるらしい法介の自由になっているほうの腕を取ると、カフェへと先を急いだ。

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