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アナザーゼロ 2

予想通りというべきか、法介は二時間後、いつものスーツではなく、私服に着替えて繁華街へと足を踏み入れていた。
成歩堂が帰ってきてからのことは、正直なところ、思い出すだけで頭が痛くなりそうだ。
法介と女性――今となっては正式に成歩堂なんでも事務所の依頼人となった、刈谷夫人――から事情を聞いた成歩堂は、なんでもないような口ぶりで『もちろんお受けしますよ、ね?』と言った。

その瞬間の刈谷夫人と自分の表情は、まさしく対照的だったに違いないと、法介は思う。
そしてそれを成歩堂がにやにやしながら見つめていたに違いない、とも。
予想通りに仕事を引き受けさせられた法介に、そのとき成歩堂の顔を見る余裕はなかったが、彼の性格上面白がらないわけがない、と確信している。

「仕事を選べるほど、うちの事務所に余裕がないのはわかってるけどさぁ……」

少しだけでもいい。仕事の内容、というものを考えて欲しいものだとささやかな願いが脳裏をちらりと掠めたけれど、それを口にすることはないのだろうと、半ば諦めにも似た思いを抱いた。
現状が不服ならば、転職活動をすればいいのだ。
けれど法介は、今の事務所から動く気はなかった。
何だかんだ言いながらも、成歩堂と、みぬきと、三人で過ごす時間が好きなのだろう。
……たとえ、望む仕事はできなくとも。

「あー……やめよう、ループだ」

ぐるっと一回転したところで、法介は考えることを放棄した。
とにかく今は、受けてしまった仕事を懸命にこなすことを考えようと、思考を切り替える。

「今の高校生って、結構夜遊びするんだなぁ……」

刈谷夫人から聞き出した情報を元に、法介は明るいうちに失踪した娘――刈谷陽菜・高校二年生――の行動範囲を把握しておこうと、街に出てきていた。
夫人は娘のことを、ごく普通の女子高生ではあったが、最近になってから、親としてはあまり歓迎できない種類の人間と接触して、すれてしまった感じの子、という風に語った。
その話を聞いたとき、十代の頃は夜になってから外に出る、ということに言い知れぬ興奮を覚えたものだと、法介は懐かしく思った。そんなに前の話ではないのに、随分昔のことに感じるのは、その頃と今とでは、何に対しても感じ方が違うからだろうか。

法介の勝手な感慨は置いておくとして、四日前に『ちょっと出てくる』と言ったきり、携帯に電話しても圏外というアナウンスが流れ、メールを送ってもまったく何の反応もないらしい。
すれたとはいっても、両親に対して反抗的な態度を取るわけでもなく、ただ夜になって外出する機会が増え、外見が派手になったくらいで、家出をするような雰囲気はまったく見受けられなかったという。
そのため、心配した両親が手始めに学校の友人に連絡を取ってみたところ、学校にも来ていないとのことだった。
これは一大事だと、警察に駆け込んでみてもさらりと流され、探偵事務所に行けば、捜すよりも先に金銭の話をされ(これは商売だから仕方ない部分もあるだろうが)、最後の頼みが成歩堂なんでも事務所……というより、法介だったということになる。

これは一大事だと、警察に駆け込んでみてもさらりと流され、探偵事務所に行けば、捜すよりも先に金銭の話をされ(これは商売だから仕方ない部分もあるだろうが)、最後の頼みが成歩堂なんでも事務所……というより、法介だったということになる。
それどころか、法介が事務所から出かける際には『オドロキくん、この仕事に成歩堂なんでも事務所の生活費がかかってるからね、しっかりやってね』などという、余計なプレッシャーをかけてくれた。

慣れない人捜しと、生活費の確保と。

与えられたミッションは、法介にとっては荷が重い。
ついでにいうと、気も重い。
しかし一度受けたからには、やり遂げるしかないと、無理矢理テンションを上げる。
我が子に対して、どうしても親として、家族としてのフィルターをかけてしまう立場である刈谷夫人の言い分を、一から十まで信じたわけではないが、トラブルらしいトラブルが家庭内で起きていたわけでもなさそうだ、ということは何となく察せられた。
とりあえず家庭内に問題がなかったと仮定して、法介は親の知らない彼女の世界である、夜の街をとりあえず探ってみることにした。 いきなり当たりを引けるとは思ってもいないが、明るい日の下で、彼女の世界を認識しておくことに無駄はないだろうと、ごちゃごちゃとした昼下がりの街を歩く。
繁華街独特のこもったような匂いが、どこか懐かしい。
基本的に法介は、夜遊びはしないほうだった。
夜出歩くくらいなら勉強をしたかったし、そもそもあまり外に出たいという欲求がなかったように思う。
たまの大型休暇中に、友人と連れ立って遊びもしたが、やはりたまにだからいいのであって、毎日そうしていたいと思ったことがなかったのだ。
その点、今回の尋ね人は、法介とは正反対だった。

「何があったんだろうなぁ……」

警察が言うように、単なる家出であればいいと思う。
けれど法介の第六感が、それは違うと告げていた。
こんな予感は当たらなければいい。
早く刈谷夫人を安心させてあげたいのと同時に、この仕事からの解放を願いながら、法介はとあるビルの前で足を止めた。

「ここ、かぁ」

何の変哲もない雑居ビルの地下一階に、目指す店はあった。
地下一階には『ZERO』と、金色の文字でテナント一覧に名前が刻まれている。時が来れば、ここには夜な夜な若者たちが集まり、大騒ぎするために作られた、クラブであるらしい。
刈谷夫人が陽菜の行き先で唯一心当たりというか、聞き覚えのある場所が、この『ZERO』だった。
娘がいなくなり、学校の友人もその行方を知らないとわかったとき、夫人が真っ先に足を運んだのが『ZERO』だった。
しかし、店の人間は夫人の年齢からか、入店を拒否するばかりで、話すらまともに聞いてもらえずに追い出されてしまったのだという。
だからこそ、入店を許可されるであろう年齢の若者である法介に娘の捜索を依頼したかった、と力なく呟いた彼女は、気迫に満ちて法介に迫ったとはとても思えないほど、小さく頼りなく見えた。

「クラブ、ねぇ……」

これまで歩んできた人生とは無縁すぎて、場違いではなかろうかと、法介は危惧していた。
今の法介の格好は、スーツでは浮くだろうということでTシャツにジャケットを羽織り、こなれたジーンズを合わせている。足元は、何年物だとよくからかわれる、吐き古したスニーカーだ。
髪はこの格好でオールバックはおかしいだろうと、休日のように乱したままだ。
その姿は、童顔とあいまって、二十二歳には到底見えない、どこにでもいる高校生に見える。自分で鏡を見たとき、あまりの幼さにしばし絶句してしまったほど、違和感はなかった。

「中身は結構オッサン入ってきてるんだけどなぁ……」

みぬきや成歩堂に、いつも若さが足りないとからかわれ続けている身には、今日の若作り―年相応であるともいえる―した格好は、どうにも肩が凝る。
法介は開店前の店の様子を見ておこうと、地下へ向かう階段に足を進めた。
昼でも薄暗い階段は埃っぽく、人気がないために荒んだ空気を漂わせている。

「居心地、悪ィ……」

つい口に出してしまったのは、ご愛嬌というものだ。
だが、今時珍しいほどある意味世間を知らない法介にとって、この場所はどうしようもなく落ち着かない。

「本当に俺で大丈夫かなぁ……」

店名だけが掲げられた、シンプルな装飾の扉は、そんな法介を拒むかのようにそびえ立っている。
今はぴたりと閉ざされている扉の前で、法介はしばし佇み、ため息を吐いた。

「やるしかない、か」

大丈夫、大丈夫といつもの口癖を何度も口の中で繰り返し、法介は扉に背を向ける。
できればすぐに情報が掴めればいいが……。
何度も足を運びたい場所ではなさそうだ、と法介は開店するまでの時間を潰すため、光の差す昼間の世界へと戻っていく。


その姿を扉の内側から、じっと静かに観察していた人間がいたことに、法介が気付くことは、なかった。

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