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アナザーゼロ 1

「娘を捜して欲しいんです」

必死の形相で目を見つめ、手を痛いくらいに握り締めてくる中年の女性に、法介は内心まいったな、と天を仰いでいた。
事務所に自分しかいないのは運命のいたずらなのか。
みぬきは学生らしく学校へ行っており、普段ならば応接用のソファでだらしなく寝転がっているはずの成歩堂は、今日に限って用事――どんな用事かは想像もつかないし、聞いたところで素直に教えてくれるとも思えない――があるとかで、出払っている。
午前中には帰ってくると言っていたものの、肝心のときにいないのでは仕様がないじゃないかと、法介は成歩堂を思わず恨んだ。

そもそも今日は朝から調子が良すぎる、と思っていた。
朝の占いでは一位だったし、普段は挨拶する程度で世間話もしたことのない無愛想な大家から野菜をもらい、道端の自動販売機で缶コーヒーを買えば当たりが出る。
そして何より、暇すぎるくらいに暇な成歩堂なんでも事務所に、朝一番で依頼人らしき人物が訪れたのだ。
事務所の扉を開けた瞬間、助けを求めるような女性の表情に、法介は久々に弁護士としての正義感がメラメラと燃え上がるのを感じていた。
思い返せばここしばらく、弁護士らしい仕事は何もしていない。ひたすらビラを配ったり、みぬきのビビルバーでの仕事を手伝ったり、事務所を掃除したり……。雑用ばかりしていたことに、思わず遠い目になった。
しかしこの突如として現れた女性の依頼を受けることができれば、そんな雑用にまみれた日々から晴れて卒業である。本来の自分の職務に戻るため、法介は女性を部屋の中へと誘った。

「どういったご依頼ですか?」

法介は気合を入れ直し、落ち着かない様子で部屋を見回している来訪者に問い掛ける。
その問いに女性は、はっとした表情を浮かべると、視線を法介の顔にぴたりと合わせ、沈黙した。
何も言葉を発さないまま、己の顔を見つめ続ける彼女に居心地の悪い思いはしたけれど、法介は『仕事のためだ、仕事のため』と念仏のように心の中で呟きながら、女性の顔を静かに見つめ返した。

そんな時間がどのくらい過ぎたのか。
女性は意を決したように大きく息を吸い込み、重々しく口を開いた。『娘を捜して欲しい』、と。
法介はその言葉を聞いた瞬間、思わず「は?」と間の抜けた声を発していた。弁護士としての仕事とは、少し方向性が違う。想定外の事態に、法介の思考は停止していた。
反応の薄い法介に対して、女性は手を握り締め……そして冒頭の場面に戻る。

「あのー……弁護のご依頼では」
「弁護? なぜ? 私の話聞いてたわよね?」
「はぁ……。聞いてましたけど」

煮え切らない法介の返答に、女性は苛立たしげに身体を揺すると、握り締めていた手を解きトントントン、と指先で軽くリズムを刻んだ。

「聞いていたなら、何で弁護なんて言葉が出てくるの。娘を捜して欲しいって頼んでるだけじゃない!」
「いやまぁ、そうなんですが」
「あなた、なんでも屋さんなんでしょ?」
「ちちち違いますよ!」

思わぬ誤解に、法介はガタンと音を立てて立ち上がった。

「お……私は、弁護士ですッ!!」
「えぇッ!?」

法介の主張に女性は驚き、そして落胆したように肩を落とす。

「なんでも事務所っていうから……てっきりなんでも引き受けてくれるのかと……」
「はぁ……すみません……」

一気に意気消沈してしまった女性の姿に、法介は心底同情してしまった。
そして事務所のネーミングに関しては、法介も常々思うところがあるため、素直に謝罪した。

「いやでも……考えようによっては……」
「はい?」

ぶつぶつと何事かを呟き出した女性に、法介は覚えのある不穏な空気を感じ取って思わず聞き返す。
後になってみれば、それが間違いのはじまりだったと法介は述懐することだろう。しかし後からするから後悔なのであって、先の見えない今の状態では、それがわからないのもある意味当然といえば当然であった。
下を向いていた女性がキッと正面に向き直り、法介の目を強い視線で射抜く。その光の強さに思わずたじろぎながら、法介は仰け反りそうになった身体を、必死になって立て直した。

「あなたが弁護士さんだっていうなら、それでもいいわ。娘を、捜してください」
「ハァァァァァァッ!?」

女性の言葉に思わず、叫んだ。

「何を驚いてるの?」
「いや、驚きますよ!」

法介の大音声に、顔を顰めて耳を塞いだ女性は、何を当たり前のことを、とでも言いたげに言葉を紡ぐ。
法介は無意識のうちに立ち上がりかけていた腰を落ち着かせ、大きく深呼吸すると、努めて冷静に語りかけた。

「俺はですね、弁護士なんです。探偵でも警察でもないんです。人捜しなんてしたことありませんし、専門家に頼んだほうが……」
「その専門家が当てにならないからここに来てるんじゃないの!」

急に声を張り上げた女性に、法介は身を竦める。

「警察に行ったら『どうせ家出でしょ? 一応捜索願いは受け取りますけど、無駄だと思いますよー』だし、探偵は探偵でどいつもこいつもお金の話しかしやしない! 払わないって言ってるわけじゃないのに人の足元ばっかり見て話すのよ!? 感じ悪いったらありゃしないわ!」

語気も荒く一気に捲くし立てると、女性はぐったりとソファの背に身体を預けた。
あまりの剣幕に慄いた法介が「お、落ち着いてください……これでも飲んで」と湯呑みを差し出すと、女性はがぶがぶと一気に茶を喉に流し込み、ふぅっと大きくひとつ息を吐いて顔を覆う。

「ここが最後の頼みの綱なのよ……」

法介は大いに困った。
人捜しのノウハウも経験もない自分では、まったく役に立ちそうにない。
その一方で、この女性の助けになりたいと思う自分がいる。
揺れ動く気持ちを天秤にかけ、法介はしばし熟考した。
そして出した答えは、やはり。

「大変申し訳ないんですが……」
「……随分とお暇そうなのに?」
「……」
「昨日一日、失礼とは思ったんだけどこちらの様子を見てたの、私。あなた弁護士だって言ってたけど、昨日はティッシュ配りした後、ずっとこの事務所にいたわよね?」
「ええ、まぁ……はい」
「仕事、ないんじゃないの?」
「……お答えする必要は」
「あるわよ」

打てば響くような返答に、法介はぐっと詰まる。

「あなたに頼みたいの」
「人捜しなんて、したことがありません」
「誰だって最初はしたことがないのよ」

そんなの屁理屈だ、と叫び出したかったが、女性から発せられている気迫に、徐々にじりじりと圧されていた。

「お礼はするわ」
「いや、そういうことじゃなくてですね……」
「娘が見つかったら、あなたの弁護料の倍出すわ」

その言葉に、心が動かなかったかといえば嘘になる。
だが、しかし。金の問題ではないだろう、と自分の中で甘い言葉を囁く悪魔に言い聞かせる。
十分な仕事をできるとは、到底思えない。

やはり、断ろう。

腹を決めた法介は、女性の目を真っ直ぐに見据えると、頭を下げた。正確には下げようとした、のだが。
垂れているはずの頭は何かに首根っこを押さえられ、法介の意思で動かすことができない。
何が起きたのか判断できなかった法介は次の瞬間、背後から聞こえてきた声に、力いっぱい脱力した。

「オドロキくん、お客さん?」

恐る恐る後ろを振り返れば、この事務所の主である成歩堂が、満面に人の悪い笑みを湛えて立っている。
最悪のタイミングだ。
法介はこれから自分に降りかかるであろう事態を何となく察知して、思わずこめかみに手をあてた。

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