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アナザーゼロ prologue

街は夕闇に染まっている。
帰路を急ぐ人々の流れに、男もまた逆らうことなく追従していた。そんな男の耳に、ふと甲高い少女の声が届く。
聞くとはなしに入ってくるその内容に思わず、男は口の端を吊り上げた。

「ねぇ、『ゼロ』って知ってる?」
「クラブの? それなら知ってるに決まってんじゃん」
「違うよォ。それとは別の、すごいやつ」
「すごいとか言われてもわけわかんないんだけど!」
「あれなんだって、合法? の、クスリ?」
「なんで疑問形?」
「彼氏がねー、この前ちょっと試したらすごい気持ちよかったとか言っててさぁ」
「でもクスリでしょ? 怖くない?」
「怖いけどでも興味ない?」
「ないわけないじゃん! 合法ってことは安全っぽいし」
「だよねー!」

キャハハハハハ!
街中で大声を上げて笑う少女たちの脇を、男はするりと抜けた。
怖さを知らないのは、若さたる所以か。
自らの行動に責任も危険も持とうともせずに、刹那の快楽を求める少女たちを、男は心底軽蔑し、内心で嘲笑っていた。

もっと、もっと求めればいい。
求められただけ与えてやろう。
そして、際限なく快楽に溺れたあかつきに訪れるであろう絶望に打ちひしがれるがいい。

男は昏い欲望を胸中に押し隠しながら、歩みを進めた。
どこにでもいるようなサラリーマンの風体をした自分には、誰も目を向けようとはしない。周りを見回せば、自分と同じような『普通』の人間たちばかりが、それぞれ自分の巣へと足早に向かっている。
こうした『普通』の人間たちがどれだけ欲深いことか。
男は自分だけが気付いていると思っていた。
自分だけが真理に達している。そのことに少しだけ絶望し、自分は特別であるという浅はかな優越感をその顔に滲ませながら、間もなく夜を迎える街の角を曲がる。
橙から黒へと変貌していく街の色は、何の変哲もない濃いグレーのスーツ姿の男をいとも容易く包み込み、消し去った。

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