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花の香を風のたよりに

 おい、と不機嫌そうにかけられた声に、改札は重いまぶたを上げるとゆっくり二回、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「あれ、スイカ」
「あれ、スイカじゃねぇよ。仕事しろ仕事」
 この給料ドロボーめ。
 口唇をひん曲げてこちらを見遣る彼は、どこか機嫌が悪そうだ。
 いや、これは――――
「どうしたの、嬉しそうだね?」
「!」
 途端、じわりと眦を赤くしたスイカの姿に、改札はやはり自分の見立ては間違っていなかったと、内心でにやりと笑う。
「そ、そんなこ、とッ! ねぇ!」
「そう?」
 それならいいけど、と流した改札に、スイカは何とかごまかせたらしいなと、ほうっと息を吐いた。本当は毛の先ほども、ごまかせてないんだけどそこがスイカらしい、と改札が微笑ましく思っていることなど、気付きもしない。
「でもどしたの、土曜日にこんな早く……」
 改札がちらりと手元の時計に目を遣ると、針は午前五時を指している。さっき始発電車が行ったばかりだ。だからこそ、仕事中だというのにうとうとしかけていたのだが。
「ちょっと、用があるんだよ」
「へぇ? 今日はどこまで行くの」
「…………」
 ぼそぼそと口の中で呟かれた言葉は、いくら静かな休日の早朝であっても聴き取りづらい。改札は首を傾げて、重ねて問い掛けた。
「え? ごめん、よく聞こえなかったよ」
「だからっ!」
 スイカの口から飛び出した駅名に、改札は瞠目した。
「あれ……そこって、スイカ行けたっけ?」
「今日、からっ! 行ける……ッ!」
「あ、ああ! だから嬉しいんだ?」
 ふわりと笑った改札に、スイカは今度こそぼんっと頬を染め上げた。
「べ、つに!」
「隠すことないデショ? よかったね、スイカ」
「……おう」
 俯いて小さく応じたスイカの、フードからわずかに覗いた耳たぶは、真っ赤に熟れている。それにかぶりつきたい、と朝から不埒な欲求を覚えながら、改札はスイカの顔を覗き込んだ。
「ここよりあったかいかな」
「は?」
「今からスイカが行くとこの話だよ」
「あー……どうだろ、天気悪ィし」
 窓の外に視線を移したスイカは眉間に皺を寄せながら、ごうごうと唸る風の音に耳を集中させる。昨晩から続く強風に、せっかくの門出が台無しだと、その表情は雄弁に語っていた。
「桜とか、咲いてるのかな」
「いや、まだだろ。福岡で昨日咲いたばっかりだって、スゴカから連絡あったし」
 つーかこっちと変わんねぇだろ、普通に。
 そっけない答えに、改札はそうと気付かれないほどに苦く、頬を歪ませる。桜なんて、生まれてこの方見たことがない。造花だったり手折られた枝だったり、人の手が入っているものは何度も見たけれど、自然のままの桜の木なんてこれまでも、そしてこれからも、見る機会なんて一生自分には訪れないのだろう。
 どんどん行動範囲を広げていくスイカに比べて、ずっとこの場所に立ち続けることが運命とはいえ、ずいぶんつまらない運命の下に生まれたもんだと、改札は皮肉に思った。
「………、おい!」
「……え?」
 スイカの、怒りまじりの声音に、改札は弾かれたように顔を上げる。目の前からこちらを睨みつけてくる彼は、呆れと心配を表情に滲ませていた。
「何ぼーっとしてんだよ、人が話しかけてるってのに」
「あ、ごめん。で、なぁに?」
 現実に戻された改札は、きれいに笑ってみせる。
 的外れで一方通行の醜い嫉妬を、スイカにぶつける気は毛頭なかった。
「お前……桜、すき、なの?」
「……ッ」
 どこまでも真っ直ぐな視線と問い掛けに、息を呑んだ。
 スイカは時々、鋭い。
「好き……かは、わからないなぁ」
「わかんねぇ? 変なの」
 自分のことだろ、と言ったスイカに、改札は曖昧に笑った。
 いつも大人な振りをしてスイカをからかってばかりの自分が実は、世間知らずだということを知らせるのは、少しばかり格好が悪い。それこそ、スイカの逆襲を受けても仕方がない。けれど、今日は記念すべき日なのだからと、改札は素直に口を開いた。
「桜って見たこと、ないんだ」
「ふーん……」
 改札の、一世一代の告白に、けれどスイカは下唇を引っ張って気のなさそうな返事を寄越す。拍子抜けしたような改札の顔を見て、スイカは小首を傾げると、にやりと笑ってこう言った。
「今日は無理だと思うけど、咲いたら教えてやるよ」
「え……」
「そしたら一緒に……ってお前、動けないじゃんなぁ」
 どうすっかなぁ、盆栽? 盆栽とか俺全然わかんねぇ……。
 スイカがぶつぶつと呟きながら知恵を絞っている様子を、改札はじわりと胸の奥が熱くなるのを感じながら、黙って見つめた。
「ありがと、ね」
「ん? べ、別に俺何もしてねぇだろ、まだ!」
「いや、スイカの気持ちがうれしいと思って。本当にスイカってかわいいねぇ」
 いつもの調子でにやりと笑ってみせると、スイカはぶんぶんと腕を振り回して「本気にした俺が馬鹿だった!」だの「もう二度と言わねぇ!」だの、かわいくないことばかり叫ぶ。
「で、スイカ。電車着いちゃいそうだよ?」
「あ、ああああ! このクソロン毛! てめぇに付き合ってたらこんな時間じゃねぇか!」
 オラ、顔寄越せ!
 いつもより乱暴な口ぶりに頬を緩めながら、改札はそっと目を閉じ顔を寄せる。ふんわりとした柔らかな口唇が名残惜しくて、ぺろりと舐めてみせれば、どん、と身体を押された。
「な、な、な、何ッ! しやが、るッ!」
「ん? いつもしてるデショ?」
「して、ねェッ!」
 俺はもう、行くからな!
 ふん、と肩を怒らせてホームへ向かう小さな背中に、改札は声をかける。
「スイカ、おめでとう! 行ってらっしゃい」
「うっせぇ、この変態ロン毛野郎!」
 返ってきた罵声とは裏腹の、振り返らないまま小さく手を上げたスイカの姿に、改札は声を上げて笑った。

3月14日 西瓜エリア拡大おめでとうSS。実は世間知らずっていう改札の設定は激しく萌える。
HARU配布のペーパーからの再録でした。
(ヨツハ:09.04.16)

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